どん底だったコロナ禍のUber配達時代


三千件を配達して、たった一本だけ、忘れられないお茶があります。

コロナで仕事のほとんどが消えた年でした。見知らぬ松江の街を、バイク一台のUber Eats配達で走り始めた頃のこと。米子で生活し、松江の道もわからない。配達そのものが怖くて、スマホに注文が入るたびに気が重くなる。高級店の寿司を運ぶ最初の指示に、ハンドルを握る手が震えていました。

その最初の指示先が、呉竹鮨松江本店でした。おそるおそる受け取りに行くと、女将さんはお茶のペットボトルを一本、そっと持たせてくれた。「よろしくお願いしますね」。たったそれだけのことで、こわばっていた心が静かにほどけていく。以来、配達に伺うたびに、同じ気づかいをいただきました。慣れない土地で、その一本がどれほどありがたかったか。三千件のうち、配達前にお茶を握らせてくれたのは、後にも先にもあの女将さんただ一人でした。
真夏も真冬も走り続けたあの時期に、松江という土地の人情を教わった気がしています。閉業の報に触れて、どうしても言葉にしたくなりました。いつか松江のお客様と、あるいは家族と、あのカウンターで寿司をいただく――それが密かな目標だったから、なおさら胸に応えます。

本当に苦しいとき、人の心に残るのは大きな励ましではなく、名も知らぬ誰かがくれた何気ない1つの心遣いなのかもしれません。女将さんへ、あの日のお礼を、いつか必ず。その日がまた巡ってくることを、静かに願っています。

#松江 #地元の名店 #呉竹鮨